横山 彰人 著
第13章 手付け
翌日、吉川と駅で四時に待ち合わせをし、マンションまで歩けば十五分程だというが、夕方なのでタクシーで向かった。ワンメーターで、車の窓から見る街並も新しく美しい。
目的のマンションに着き、カードを差し込むだけでドアが開き入って正面の中庭には、現代風の彫刻がありそばには噴水があった。間接照明が中庭全体を包むように浮かび上がらせていた。エントランスロビーの床と壁は、落着いた茶系の御影石が貼られ、中央にスウェードのゆったりとしたソファーが置かれていた。サイドテーブルに活けられた花に、スポット照明がやわらかな灯りを落していた。一段低い所にあるソファーに座ると、低い視線からメインの中庭とは異なった小さな坪庭がガラス越しに見え、竹の生垣を背に白い砂が敷かれ孟宗竹が植えられていた。
京都の料理屋の待合のような趣きがあって、和と洋がマッチしたグレードの高さが分る空間だった。咲子は分不相応なマンションだと思ったが、父親が好きそうな雰囲気に満足した。
はやる心を抑えながら二〇階の二〇一四号室の玄関に入り、直ぐベランダへ向った。眼下には住宅風景が広がり、少し濃いグレーの東京湾の海の色がわずかながら赤く染まり、壮大な夕焼けのドラマが間もなく始まろうとしていた。咲子は、直感的にここに決めようと思った。
秋の穏やかな一日をしめくくるような夕陽を見て、咲子はようやく長いマンション探しから解放される気がした。
「どうです奥様。この眺望、晴れた日は富士山はもちろん、三浦半島もすぐそこに見えますよ。私もお金があったら購入したいぐらいです」と、もう決まったとばかりの表情で言った。
とにかく夫に相談して明日返事をします、と言って自宅に戻ったが振り返ってみると、他の部屋や住み心地のことなど、ほとんど見て来なかったことに気がついた。駅やスーパーも近く、夢にまで見た高層マンションから夕陽が見えたことで、夢も家族の幸せも、全て実現できると思った。
しかし、中古マンションで新築の販売当時よりかなり価格は下がったというもののそれなりの価格のため、間取り変更のリフォームは諦めなくてはならないことは明らかだった。
家族が一体となれる部屋の間取り、父親が希望していた床の間、たくさんの収納スペース、そしてオープンキッチンといった考えていた希望は、夕陽と駅に近く買い物の便利さと引き換えに、全て諦めることになってしまった。
何のために図書館から本を借りて読んだのか分らない結果になったが、希望がかなえられないところは、お金が出来ればリフォームはいくらでも出来ると割り切り、武夫も賛成してくれると思った。
購入価格については吉川と相談し、予算からオーバーしている分の値引交渉をしてもらったが、断られたという電話が入った。話によると相手は、誰もが気に入る物件なので価格は下げないと、強気で値引交渉には全く応じてくれなかったという。しかし、住んでいた人が急にアメリカに発ってしまったため、汚れたままの壁・天井の壁紙の貼り替えに限っては、売主側が費用を持つという。それでも咲子は予算オーバーの費用は父親に出して貰うことにし、武夫の心配をよそにマンションを見た三日後には契約の手付金を払っていた。その時点で、契約は年内で引越しは二月上旬ということが決まった。